こんにちは!伊豆・松崎町地域おこし協力隊のてらけんです。
今日は世にも奇妙な物語!笑
ではないですが、思うことを書き連ねてみます。
まー、これは地方に限らずかもしれないですね。
会議が長い問題。
会議ってなんだと思います?
目的を果たしたい
長い会議ってもはや罪だと思う。
— てらけん@伊豆おこしプロジェクト (@teraken099) 2019年3月13日
はい。端的に言うとこれが言いたいだけですね。笑
長い。
長すぎる。
皆さんは会議ってなんだと思いますか?
私はこう思います。
- 決めなければいけないことを決める
- 帰りたい
- 決めなければいけないことが事前にわかっている
- 帰りたい
- 目標を達成したら終わる
- 帰りたい
- 次に決めなければならないことをあげておく
- 帰りたい
- 帰りたい
- 帰りたい
決めること決めたら帰りたいですよね?
なのに、決めること自体決まってないのに集められること、多すぎません?
あるいは、すでに決まっていることを聞かされるだけの会議、多すぎません?
愚痴だけ言っていても仕方ないですね。笑
シンプルにこうしてほしいんです、
- 今日決めることをリストに書き出そう
- 事前情報で良いものは、資料として前日までに共有しておこう
- それ以外は思いつきでしゃべんな
- 脱線したら誰か止めろ
- 今日はここまで、を1時間以内にしよう
1時間人と喋るってけっこうな情報を交換できるはずです。
とにかくみっちり1時間。 これを習慣づけるだけでも違うでしょう。
逆に、1時間しか喋れないんだから、参考資料は事前共有で済ますようになるでしょう。
それが必要なわけですよね。
だって、文字で書き起こしてくれていた方がじっくり読めるじゃないですか。 それで疑問点が出てきたらその時点でLINEすれば良いし。
要は、【会議】=【決めることを確実に決める時間】であってほしいのです。
話すことが目的になってしまう
ここがすごく勘違いだと思います。
話すことが目的になることもあっても良いです。 飲み会やランチなんてそうだと思います。 ただダベってる時間。 その時間を共有してたのしいね、って。
でも会議は違う。
決めなきゃいけないことが前提にある。
「いつにするのか」「いくらにするのか」「誰がやるのか」「どのようにやるのか」
それを明確に決めて終わり、のはずです。
だから必然的に、「今日決めることがリストになる」はずなのです。
それを紙に書き起こしておいて、損することなんてひとつもないです。
それがないと、「今どこまで来ているか」が全く不透明なまま進むことになる。
僕はその時間が苦痛で苦痛で仕方ないのです。笑
なんでそんな冒険をここでしなきゃいけないのか。 そんなことより早く帰りたい。
もし、「話している時間を共有することも目的だけど決めることもある会議」みたいな、飲み会と会議のハイブリッドみたいな会議があるんだとしたら、全部非対面にしてほしい。
その中間時間帯で他の作業していたいから。
まあそれだと、「話している時間を共有すること」という半分の目的に矛盾するから実現しないんだろうけど。汗
僕の経験なんてちっぽけなもんですが、何度も何度も言われました、
「こういう時間が大切なんだ」
ええそうです。 そうも思います。
でも、決めることはさっさと決めてからにしてくれ。 その後ならせいせいと喋れるから。
なぜ長くなる?
この点については様々な見方があると思いますが、ここでは地方の場合起こりやすい理由について検討してみます。
時間は有限という意識が薄い
地方と都会を比べて、圧倒的に違うことの一つが職種だと思います。
地方の場合、サラリーマンの比率がものすごく低い。(都会が異常に高いとも言えるかもしれませんが、今回はおいておくことにします)
サラリーマンというのはその名の通り雇われている身ですから、往往にして自分で自由にスケジュールを組めないことが多いです。
僕も信託銀行員時代に個人営業をしていたころは、お客様の時間に合わせて過ごす他ありませんでした。
10時から11時かな、と言われればそうするし、11時からならいるよ、と言われたらそうします。
そして、できるだけ多くの人に会うように考えれば、1時間なら1時間で物事を終わらせて次に移らなければならないのです。
何故なら、次の方にとっては関係のないことだから。
だから必然的に有限で区切られた時間の中でどうするか、という考え方になっていきます。
地方の場合、その考え方の層が薄くて、自分でその時間をコントロールできるケースが多い。 (だからと言ってその人たちが暇で時間があるという意味ではありません。むしろ忙しいときはつきっきりで忙しいです。)
だから、例えば「この会議で時間がのびた」としても、「次の作業を後にずらせばなんとかなる」ことになってしまいます。
その意識の違いってけっこう致命的なんですよね。
別にそれ自体は良いことだと思うのです。 自分で自由に決められても。特に今の時代。
でも困ってしまう人もいるはずです。
例えば主婦。 子どもたちのスケジュールがある。
そして例えば地域おこし協力隊。 明確に3年間という期限がある。
実に、1,095日。
94,608,000秒 のカウントダウンです。
確かにその内訳こそけっこう自由で、松崎町の場合、コアタイムみたいなものは厳密にはありません。
でも、この松崎町で黙っていても過ごせる時間は1秒ずつ減ってしまっているのです。 不可逆です。
言ってもしょうがないんですけどね。^^;
まぁとにかく言いたかったのは、地方では時間が有限であることに気づく人の方が比率が低いということです。
会議というシステムに慣れていない
これはどちらかというと、年配の方々。
昔、大きい船に乗っていた方々なんかは特にそう。
なぜかっていうと、大型の船の場合、船長の指示が絶対で、それに沿って統率がとれていないと舵がきれない。
「今日の舵どうする〜?」
なんて悠長なこと言ってる場合じゃないんです。
その時その時の状況に合わせて「長」たる人物が判断をし、以下はそれに従属していく。
その指揮系統の統率がとれているほど、スムーズに運行ができる。
逆にそうでない場合は、全員が命の危険に晒される。
そういう環境下にあったのです。
だから会議と言っても事実上の決定事項の伝達会だったわけです。
まさかそこで末端からの意見によってひっくり返ることはない。 そんなことがあっては統率がとれないから。
教育過程でいえば、「自分の意見を持つな、忠実に従え」の方が強かったわけです。
大勢がどう向いているか、そこにどううまく組み込まれていくかこそ生きる形だったんですね。
それって実は会議とは違っていて(まあ僕の思う会議の定義とは違うと思っていて)、報告・指示なんですよね。
そしてだいたいそういうシステムって年功序列が大原則になっていて、年を重ねてしまうと報告・指示する側にしかなれないんですよね。
そうなると、本当はみんなでいろいろな立場から検討して決めなければいけない会議なのに、各々が報告・指示を発するだけになってしまって散り散りになってしまう。。
船でいうところの、みんなが「船長」みたいな感じですね。一つの船に乗っているはずなのに。
そうすると、本当は一つに決めなければいけないのに、それぞれが言い合うようになってしまって収束しない。 長くなってしまう要素です。
確実な記録をとらない
これが実はとっても大きな問題です。
目に見える形で、全員が共有する、確実な記録が残っていない。
そうすると何が起こるか?
同じことを繰り返す
のです。
これはたぶん、「今までみんなでなんとなくなんとかしてきたから」が大きいでしょう。
おそらく今のサラリーマンのビジネスシーンでメールはマストだと思います。
それはなぜかって、ひとつは時間を選ばず開けるから、というのもあると思いますが、「ここで確実に伝達した」ことの証拠を確実にするためでしょう。
それのためにccが飛び交うのはそれはそれで問題なのですが、その痕跡を共有しておくのはとても大きいリスクヘッジです。
「あの時こう言ったのに!」
なんてことが絶対ないようにするためです。
日付、時間、数、期限。。
そんなものは口頭よりもメールで残せば絶対に確実です。
それがあれば自分も困らないですし、万が一のことがあったときどこにミスがあったのか明確です。
そのやりとりが少ない。。!!
「自分たちにはできないし」「そんなんなくても今までできてるし」
そういう風に解決しているようですが、
実際はけっこう行き詰まっています。 ( ;´Д`)
同じことを繰り返したり、記憶が曖昧になってしまったり、、
その時間ってひとつひとつなくせるんですよ。。!! 今の時代。。!!
そこの更新が進んでいないですね、、残念ながら。
「田舎ってやっぱ遅れてる〜〜〜」っていうことを言いたいんじゃなくて、
「今まではチャンスがなかったから仕方なかった」ことをしっかり自覚して、「今後はそうした方が良いかもしれないんだ」ということを少しずつ意識してほしいのです。
そう、会議を短くするために。
会議が短くなれば、その分長く呑めます。
その分眠れます。
その分遊べます。
会議の時間なんてクソです。
シンプルに飲みにいく時間の方が楽しいじゃないですか。 さっさと決めることは決めてしまって。
、、それが実現するのはまだ遠そうですが。笑
ああ、帰りたい。
てらけん