こんにちは!静岡県伊豆・松崎町地域おこし協力隊のてらけんです。
皆さんは「ボランティア」という言葉を聞いてどのような印象をもつでしょうか?
多くの方は、「なんか良いことやってそうだからみんなやった方が良い」みたいなイメージがあるのではないでしょうか。
その考え方、 今日からやめましょう。
本日はそんなことについて少し深堀りしていきます。
- ボランティアはとにかく良いことだと思っている
- お金をもらうなんて強欲だと思う
- 地域での活動に興味がある
Contents
地方に巣くうボランティアという悪魔

地方に限らず、日本人はけっこう好きですよね。「タダでも頑張る良い人!」=ボランティア、のような仕組み。 ですが、
実はそれが地域にとって毒になっていることもある
ということを今日はお伝えしていきたいと思います。
ボランティアとは?
まずは言葉の意味を整理してみましょう。
ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。
—wikipediaより
どうでしょうか? おそらく皆さんのイメージにあるのも同じような感じなのではないでしょうか。
そして、さらに付け加えるなら、ボランティア=無償という感覚。
これも皆さんの共通認識ではないでしょうか? 今日はそこを中心に議論していきたいと思います。
、、と! 思っていたら!
すでにwikipediaさん側でめちゃめちゃ結論が出ていました。。!^^; 笑
さっきの引用には続きがあります。 全文を掲載します。
日本において、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。
ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、無償性、先駆性である。
まれに暗黙の了解や周りの雰囲気により強制させられる。
しかし、本来の意味からすると強制された時点でボランティア(志願、能動的に)ではないと言う事になる。
また無償で行うという定義も日本独自の勘違いであり、チャリティーとの意味の混同がみられる。
。
—wikipediaより
おおおお!! 今日言いたいことが全部書かれている。。!!
この筆者さんはとても優秀ですね!笑 ではそこに私なりの見解も付け加えていきます。
ボランティアは自発的にやろう!
ボランティアの活動自体を否定するつもりはありません。 むしろ、どの活動も本当に素晴らしいものばかりです。 みんなでやろう!
ただ、何が問題かというと、強制的に参加させてはいけないことが忘れられがちということです。
ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。
—wikipediaより
wikipedia先生もそのように教えてくれています。
つまり、「素晴らしい活動を、共感するみんなで、楽しくやる」分には大歓迎なのです。 結果、社会がより良くなるなら尚更です。
皆さんが参加されているボランティア活動はいかがですか? みんなで楽しく、社会がより良くなる活動になっていますか?
ボランティアは断って良い!
前段の内容をさらに肉付けすることになるのですが、ボランティアはあくまで自主的なので、もちろん断ってもOKです。
むしろ、少しでも気が乗らないなら、それは自主的ではないので、ボランティアの定義から外れます。
はい! その感覚がポイントです!!
それ、「自主的じゃない」って言ってるようなもんですよ? 笑
「みんなが」ではなく、「自分が」どうなのか。 これが自主的かそうでないかに一番関与してきます。
きっと「そうは言っても、、」という方が多いはずですね。^^; 大丈夫です、その感覚は間違っていません。 むしろ間違っているのは私の方です。
でも「ボランティアかどうか」は特に重要な議論ではないので、これぐらいにしておきます。
少しわかっていただきたいのは、「思い込みって怖いですよ」ということです。
無償を考え直そう

ボランティアは社会に奉仕する、なんていう言い方をするとちょっと堅苦しく感じてしまいますね。^^;
もっと柔らかく言うなら「人のためになることをしよう」という話です。
無償で働くことが人のためになるわけではない
これは本当に日本人的な感覚だなあと思います。
「無償で頑張る」という美徳。
- 休日返上で出勤!
- ゴミ拾いを市民の手で!
- 公園の草刈りはみんなで!
尊いことです。素晴らしい!
結果的に「売り上げがあがる」「まちがキレイになる」これが伴っているので、人のためになっている活動でしょう。
しかし、それが無償である必要はあるのでしょうか?
もう少し具体的に言うと、「まちがキレイになる」のであれば、清掃員を雇ってお願いしても結果は同じではないでしょうか?
ゆっくり考えてみましょう。
そうすると、「人のためになる」=「無償」の法則が絶対ではないことが少しご理解いただけると思います。
無償が目的になると地獄
「人のためになる」=「無償」という思い込みが行き過ぎると、本当に怖いことがおこります。
それは、
何でもかんでも無償にしようとする
ことです。
もしこうなっていたら、それは地獄です。
良いですか、先ほどのことを繰り返しますが、「まちがキレイになる」のであれば、清掃員を雇ってお願いしても結果は同じですよね?
もっと言うと、清掃員として雇われた人がまちの人で、働いたお金で美容院に行けば、「まちがキレイになる」と同時に「まちの人もキレイになる」のです。
すごく大事なポイントなので、ゆ~っくり考えてみてください。。!
無償でやってしまったら、「まちはキレイになる」けれども、「まちの人をキレイにする」お金は出ないのです。
それなら有償の方がお得。。!? そう思っていただけたら幸いです。
無償は余力がある人のプライドでしかない
今までの流れを考えると、無償であるメリットはそこまでないはずです。
じゃあ、なぜこんなにも無償が蔓延してしまうのでしょうか。。?
それは、
「おれってこんなにすげぇんだぜ!って言いたい小学生」
とモチベーションは同じ
です。
小学生のころって、
- たまたま成長が早くて背が高い
- 特にトレーニングをしたわけではないけど早く走れる
- 勉強してないけどテストの点が良い
これだけでも「なんかすごい」ような気がしてしまいますよね。笑
特に、成長の早さからくる差なんて誰にもどうしようもできないものですし、自慢するようなものではありません。
でも、「人と違っておれはこんなにすごい!」と言いたくなっちゃうのが人の性です。
実は無償で頑張っているというのにも同じような側面があって、
というニュアンスが多かれ少なかれ含まれています。
要は、「そんな安い仕事おれは相手にしてねぇよ?」とマウントをとっているわけですね。
それはそれでカッコ良いと思えば良いわけですが、問題なのはそれを人に強要してしまった瞬間です。
これが発生してくると地獄なのです。。!
この次に湧いてくる感情としては、
という要求です。
こうなると、何もかもを無償にしたがる圧力が加速し、地獄がさらに深くなっていく。。
残念ながらこれが蔓延してしまっているのが地方のリアルです。
地方の地域活性化あるある
・運営が基本ボランティア
・行き当たりばったり感
・採算ど返し原価販売
・過去からやってきたから今年も
・上下関係で強制参加
・打ち上げの飲酒が目当て
・やたらと熱い
・どこにでもある感これでは疲弊するだけ絶対に地域は活性化はしません
そろそろ気づきましょう!— ダイ / 空き家再生しています (@dai_kyoto) 2019年7月18日
無理ならやめよう!

これまでのような内容をお話すると、
というご意見をいただきます。
わかります、、! その気持ち!^^;
でも、その場合は、「それでも頑張る」ではなく、「いっそやめてしまう」ことをおススメします。
無理こそ一番の毒
序盤のお話に戻りますが、自主的にみんなが楽しくやっている分にはボランティアでも何でもまったく問題ないのです。
地区の公園の草取りですら、もし気の合う人々と定期的にお話できて楽しい!と思っているなら無償だろうと暑かろうとどんどんやってください、ということです。
が! しかし!!
そうでないなら今すぐやめてしまいましょう。
もう少し具体的に言うなら、
- 自分は楽しいけど、他の人は楽しくないかもしれない
- 実は参加している時間にやりたかったことがあったかもしれない
- 前は楽しかったけど、今は状況が変わって辛くなった
こういったことが当てはまるようならやめましょう。
けっこう多くの方が気づいていないのですが、③のように、状況が変わってしまってということは普通にあります。
つまり、
最初は楽しいと思っていたし、無償でも全然良かったけど、続けていたら「おや?」と思った
これは別に普通のことです。
と言われたりもするのですが、そうではないのです。
その当時は本当に心から賛同していたし、未来もそう思っているだろうと思っていたのです。
でもやってみたら違った。 それは仕方のないことです。 未来は誰にも予想できないのですから。
そこで無理して続けていくと、気持ちが離れていくばかりです。 だったら潔くやめましょう。
採算が合わないことは悪ではない
一度始めたことを引っ込めるのは確かに恥ずかしいことかもしれません。
きっと、
こんな風にプライドを保っていた人なら尚更です。
でも、事実として採算が合わなかった。 そのことに気づき、冷静に判断してやめた。
きっとそれを評価する人もいるはずです。 というより、そこを評価してくれる人ほど、今後もっと力になってくれるはずです。
なぜなら、「やってみたけどダメだった」ことから何を学ぶか?を尊重できる人は一番成長するからです。
できる人たちはその繰り返しをしているから、それをしようとする人たちに期待する。 ある意味基本構造だと思います。
逆のパターンは最悪ですよね。「何もしないくせに文句ばかり言う」。 これが一番成長しません。
やめた経験値を活かせば新しい道が拓ける
やめてしまったことから学ぶことは多いはずです。
「このやり方じゃあダメなんだな」と思うことができれば、次のやり方次のやり方と試していくことになるので、自ずと進化が生まれます。
今の地方では、その進化が生まれづらくなっているのです。
- うまくいっていないけど、いつも通りにしてしまおう
- 失敗したと言わないようにしてしまおう
- 新しいことに巻き込まれると面倒だから避けよう
- 自分たちのやりたいようにできなくなるから排除しよう
そのネガティブな本音を、「ボランティアでなんとかしている自分たち」=「地域活性化のために頑張っている!」と誤魔化しているように思います。
でも、それは本来の「地域活性化」という目的において、無駄なプライドを守るための無駄な作業でしかなかったりするのです。
冷静に考えて、ボランティアという悪魔が一つでもなくなっていってくれることを期待しています。

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てらけん