こんにちは!伊豆・松崎町地域おこし協力隊のてらけんです。
今日は昨日放送のこちらの内容を受けて!
『#平成狸合戦ぽんぽこ』の設定やキャラクターに関するウラ話をアンク@金曜ロードSHOW!公式(@kinro_ntv)さんがツイートしています。その一部をご紹介🎬https://t.co/xzHBbruF5i
— Twitter モーメント (@MomentsJapan) 2019年4月5日
しっぽりと考えてみたいと思います。
平成狸合戦ぽんぽこを見て
言わずと知れたジブリ映画の名作ですね。
ニュータウンの開発によって故郷を奪われてしまう狸たちの奮闘の物語。
皆さんが最後に見たのはいつですか?
改めて見てみるとものすごい考えさせられる作品です。
是非この機会にご覧ください。
どのシーンにグッとくる?
名作映画というのは何度観ても面白いと言われますよね。
作品それ自体がものすごい面白くて何度でも笑っちゃう、みたいなこともあると思いますが、私が思うに、
「何度観ても面白い」は、「いろいろな切り口で観ることができる」から面白いのではないかなと思っています。
中学生のときに観た、大学生になって観た、社会人になって観た。
そのときどきに置かれた状況のもとで観てみると、観点が違ってくる。
そのとき感じるシーンがいくつもある。
そういう作品こそ、名作なのではないかなと思います。
平成狸合戦ぽんぽこはその点でものすごく引き出しが多いと思っていまして、今回は地域おこし協力隊3年目という観点で観てみました。
そして、初めて感じた感覚がひとつ。
農村風景が寂しかったこと でした。
新しい感覚があった
作中ではほぼ終盤、狸たちが昔の自然が豊かだった風景を回顧しながらそれを化学で再現するシーンがあります。
コンクリートが敷き詰められたニュータウンが、緑豊かな農村に変化していく様は「全てを失った灰色の風景が再び色を取り戻す」ようにも見えます。
「おぉ~やっぱり自然豊かって綺麗だね」
が感想としては多いのかもしれません。
私は、「そんな悠長なことを言っている場合ではないな」と直感的に寂しくなってしまいました。
私は今、どちらかというとまだまだ農村の緑の風景がある場所に暮らしています。
つまり、狸たちの化学に頼らずとも自然豊かです。
じゃあいいじゃん
と思うかもしれませんが、全くそんなことはありません。
一見、緑豊かな風景が残っているように見えても、郊外住宅地が開発されていなくても、
実はものすごい自然の豊かさが失われています。
令和で失うもの
平成狸合戦ぽんぽこは実は1994年上映、つまり平成6年に上映が始まっています。
それ自体に改めてビックリですね。^^;
制作はその何年か前からでしょうから、タイトルの平成に込められた意味としては「平成これでいいの?」というところはけっこうあるでしょう。
今回はそれを再考する意味で「令和これでいいの?」と言うとしたら、と考えてみたいと思います。
昭和→平成の課題
自然が壊される!!
が前面に出ていることはよくわかりますよね。
昭和の後期からバブル崩壊までの期間の日本社会は、映画で描かれている通り、大量生産大量消費・イケイケドンドンな感じだったのでしょう。
私たちからするとなんとなく羨ましいぐらいですね。。
ただ、やはりそれはよろしくない、というのは皆さんもよくご存知の通り。
狸だけでなく、北極のクマたちまでかなり生活圏が狭められてしまっています。
それが巡り巡って私たちの生活にも影響を及ぼす。
そんな危惧を狸たちが代弁してくれました。
平成→令和は?
これからはどうなんでしょう?
まず間違いなく、イケイケドンドンな時代ではありません。ものすごく逆です。
ですから、「自然が壊される!!」という危惧についてはかつてほど強い意識ではなくても良さそうです。
そうすると次は何?
私は、「いつの間にか壊れている!!」なんじゃないかなと思っています。
作品内で描かれているように、ブルドーザーで土をひっくり返されるとものすごく直感的に自然が壊されて豊かさが奪われていく感じがしますよね。 そこにコンクリートが流し込まれて。
でも実はほうっておくだけでも自然の豊かさって奪われていくんですよね。
例えば森は、どこだって緑が綺麗で木漏れ日が爽やかな感じがします。
でも、それが植林されたものだったり、全然剪定もされていないものだったりすると、その下の地面や幹だったりするところがけっこう荒れていたりするんですよね。
都会から来ると「わぁ~空気綺麗~♪」ってなりますけど。
元々自然にあったものではない、という意味では十分コンクリートと同じなんです。
目に見えて汚染していたり、分解されなさそうな感じがなかったりっていうだけで、
不自然なものは不自然なんです。
それが狸さんたちにとって快適かどうか。
自然が豊かと言えるのかどうか。
そこはかなり考え物だと思います。
見えない汚染である
森の中だけの話ではありません。
人口が減少した町には空き家や耕作放棄地が林立しています。
ほっとけば害までは及ぼさないでしょ?
という感じもしますが、実際そうでもありません。
年々朽ちてしまっていったり、中の家財が錆びとカビの温床になってしまっていったり。
そのままにしておいて動かないようですけど、いずれそれを取り壊すときにはどうなんでしょうか。
塗料等の化学物質が時間をかけてものすごく変化しているかもしれません。
そのゴミを焼却処理したときに放出される物質が森林に悪影響を与えるかもしれません。
耕作放棄地で言えば、耕作放棄地が耕作放棄地を芋づる式に増やしてしまっているかもしれません。
直接自然の豊かさを奪っていなくても、間接的に関係してしまうケースもあります。
それが、とてもわかりにくい影響をじわじわと及ぼしているのです。
豊かさを忘れてしまっている
戦後のモノがなかったころ、お金持ちになって広い家に住んで豪華な食事をする!って分かりやすい理想だったんじゃないかなと思います。
だからこそ死に物狂いで働いて、大量生産大量消費でもモノをつくる道をひたすら突き進んだ。
でもそれもどこか行き詰まって、モノからコトを求めるように少しずつシフト。
メディアやSNSはひとつの事例かもしれません。
平成の期間中にかなり発達はしてきましたが、かつてのモノがたくさんあることによって満たされた欲求が、コトの場合何で満たされるのかはまだとても曖昧な気がします。
その中で、「緑いっぱいの自然があるのって豊かじゃね?」という感覚が現場と乖離して先行しすぎているように思います。
それでも良いのかもしれませんが、長期的に見るとものすごいリスクだと思います。
いくらテクノロジーが発達したとはいえ、私たちの生活はやはり自然に大きく左右されると思うからです。
もっと自然を観察しなきゃいけなくて、自分たちに何が必要で、今どれぐらい変化が起きているのか。
そこにもっと敏感になって、持続的で豊かな社会を狸さんたちと築いていきたいものですね。。
てらけん