こんにちは!伊豆・松崎町地域おこし協力隊のてらけんです。
少しご報告が遅くなってしまいましたが、今回のクラウドファンディングの目玉、
地域おこし協力隊合同研修兼、
地域みりょく発見!トークイベントが実施されました!!
実際の現場のお話がとても貴重で勉強になったと同時に、懇親会までとても盛り上がりました!^^
本日はそのイベント内容の一部を簡単にですがフィードバックさせていただきます!
ゲスト:桑高仁志さんとは
地域のことに携わりたくて
〜当日資料から〜
【高校〜大学時代】
好きな子と仲良くなろうと、ボランティア開始・・・
大学1年の冬、大学の先輩に誘われ、「阪神淡路大震災」の仮設住宅を訪問。1度目のカルチャーショック。
【2004年】
26才、新潟県中越地震の被災地支援活動に従事。
仮設住宅や集落に通い、2度目のカルチャーショック。
【2009年〜2012年】
30才、一念発起。小千谷市/地域復興支援員に!!
豪雪地の限界集落支援。まちづくりに4年間携わる。
〜抜粋終わり〜
「最初の動機こそ不純ではある」とご本人もおっしゃっておりましたが、笑
経歴を見ると地域おこしのスペシャリスト!!
何より素晴らしいのは、現場に飛び込む勇気!! だからこそその言葉には力があります。 地域おこしに一番重要なのはやはり現場での行動力ですね。
共依存との葛藤と新天地への展開
地域おこし協力隊制度がスタートする以前から地域活性化関連のお仕事をされていた桑高さんは、2013年4月から地域おこし協力隊として現在もお住まいの徳島県・那賀町に移住されます。
そのきっかけがとてもユニークでした。
地域支援員として活躍が認められるにつれて、地域の人々が頼りにしてくれているという感覚と同時に、「地域が自分に依存してしまっているのではないか」という危機感を覚えたという桑高さん。また一方で、「自分も地域に依存しすぎていて甘えているような」気がしてしまっていたそうです。
現場で信頼を得ているからこそ発生する悩みですね。
良好な関係と依存関係は紙一重。
「なんだ、全部桑高さんがやってくれるからいいや。」
は地域のことを助けているようで、実はとても危険なことだということに気が付いていらっしゃったんですね。 自分が地域力を奪ってしまっている、これは暴力だ、と。
やはり地域おこしの理想は「地域が自立して活性化していくこと」。
誰かの支えなしに生きられないでは持続的とは言えないわけです。 難しいですね。
そんな「同じ地域に関わり続ける限界」を感じた桑高さんは、当時復興支援員/協力隊アドバイザーだった田口太郎さん(徳島大学准教授)に「果たして自分はこのままで良いのだろうか」「もっと別の活動方法に挑戦した方がお互いのためなのではないか」等の相談をしたそうです。
すると、一言。
「君は、【おばあちゃん枠】が一番似合ってるよ。」
数ある地域おこしの手法の中でも、現場に自分から進んで入り、その地域の人たちのことを大切にすることを第一優先に考えていらっしゃった桑高さん。
そこで培われたのは、「誰からも愛される能力」。 特に、入り込むのが難しいけれど、一度味方につけるととってもパワフルなおばあちゃんたちを虜にするという。笑
年齢なんていう枠を超えて地元のおばあちゃんたちが自然とファンになっちゃう桑高さんの魅力は、今のままで間違っていないし、それを欲している地域はあるよ、と言われて那賀町をオススメされたそうです。笑
私も今回の様々なエピソードを拝見してその通りだな〜と思いました。わずか30分の間に会場が桑高さんの虜です。笑
地域の”やりたい”を形にする
田舎ならではの複雑さ
今回は私が印象的だったコメントのひとつをピックアップさせていただいてご紹介させていただきます。 たぶん、これはどこの地域おこしにも使えると思います。 私も強く共感する部分がありました。
地元で愛されていたものの、担い手不足や資金不足で開催ができなくなっていたお祭りを復活させたというエピソード。
一番重要視していたのが、「地元の人がやりたかったことをやらせてあげる」こと。
これが実は田舎では難しい。
なぜかというと、「何かをする」ということは「何かしらの負担と責任が生じる」ということなんです。 まあ当然と言えば当然ですが、リターンを求めればリスクもあるということですね。
それに加えて田舎ではとても面倒なのが、「何かアクションを起こしたことで発生したリスクがどういう風に地域に伝わっていくかがわからない」というところなんです。
田舎って本当に面白くて、SNSやブログなんてほとんどやっていない人ばかりなんだけど、「あそこで何があった」「あの人がなんて言っていた」「あのうちはああらしい」そんな情報は一瞬で伝わります。笑 そういう新しいSNSがあるのかな?^^; ある意味ブロックチェーンです。
ただ、ブロックチェーンと一番大きく異なるのは、「正確に情報が伝わるとは限らない」ということです。 これが一番厄介。
ある意味、その情報伝播のスピードは世界に誇るべき社会インフラです。 おそらく源流は稲作文化にある「結」の文化でしょう。
しかし、その間に介在するのはあくまで「人」。 そうなると、残念ながらどうしても情報の正確さについてはかなり劣ってしまいます。
語気、話の展開、それだけでなく、過去の人間関係でも情報の表現方法はかなり変化してくるはず。 お隣さんぐらいならまだしも、親戚の親戚ぐらいだったり、小中学校の同級生・先輩後輩がゴロゴロしている。 誰かの趣向が介入してこない方が不自然です。
そういう環境で情報が伝染していくことの怖さを地元の方々は何年もの間経験している。
小さいものから大きいものまで。
だから、「やっちゃえばいいじゃん」と思うような程度のことでも、「いや、待てよ。。?」と再考する必要が十分にあるんです。 もし今まで全くそういった地域環境におらず(例えば隣人関係が希薄な都市環境)、田舎暮らしをお考えの方はその点をじっくり知るか、「そういうこともあるんだ」ということを認識しておくことは損ではないでしょう。 必要とあればお手伝いいたします。
長くなりましたが、結論としては、「田舎で”自分から何かをやり始める”のはとにかく難しい」ということ。
言い方を変えると、「何かやっても良いけど”自分からは”やりたくない」というのが田舎の本音なんです。 自分勝手だな〜と文字上では思うかもしれませんが、これが現実であり、すごく当然のことだと思います、僕は。人間らしい。
自分が言い訳になる
そのような田舎の難しさがある中で桑高さんは何をしたか。
【責任は自分にあることを前提にする】こと。
もし”何か”あったとき、「自分が言い出したって言われたらこの町で生きづらくなる、、」という地元の人たちの代わりに、【自分が言い出したことにする】。
“何か”あっても【桑高がやったんだ】と言える状態にする。
僕は素晴らしいと思うと同時に、その覚悟は凄まじいなと思いました。 本当にその地域のことを考えているからこそ出てくる覚悟。 中途半端に目先で「地域の人たちに嫌われずにゆるゆる田舎暮らししたいな〜」という人たちとは全く違うと思います。 素晴らしい。
桑高さんの場合はそのリスクを自分が請け負った方が良いと考えたきっかけについて、
「地域を考えるなら何よりベースは地元。地元が何を諦めているのか純粋に聞いていたらこういう結論になった。」
とお話されていました。
きっと地域の人たちは嬉しかったと思います。
だって、自分が言いたくてもどうしても言えなかったことを代わりに言ってくれた。 スッキリしますよね。
もちろん、お祭りのイベントも大成功!
結局、当初リスクと思っていた”何か”なんて起こらず、むしろ、“楽しい”という大きなリターンが地域に残った。
それは桑高さんがとったリスクの大きさがあったからに他なりません。
冷静に考えれば、このリスクリターンの収支はそんなに理不尽なギャンブルじゃない。 だってみんなやりたいこと、楽しいことなのはみんな知っているから。
亡霊というか、あくまで噂レベルの虚構のリスクであって、でもそこを踏み出せないのが人間の弱さ、とでも言えば良いのでしょうか。 やっぱり「わからないことは怖い」ですよね。何においてもそうです。
そこを打ちこわすことこそ、ひとつの「地域おこし」。
なんだよ、それくらい誰でもできるだろ〜。
と、いう方がもしいるなら。
やってみればいい、その現場で。
僕は聞いていて感動しました。 それがしたくても及び腰になってしまう方が多いし、そこで踏み出さないことの方がどれだけ楽かを知っていましたから。 本当にすごいことですね。
まだまだ他にもとても参考になることがありましたが、この続きはまた後日!^^ お楽しみに!!
てらけん